11月28日、同性婚の法制化を求めて全国で展開されている「結婚の自由をすべての人に」訴訟のうち、東京2次訴訟の高裁判決(以下、本判決)が言い渡された。同性婚の法制化がなされないことについて、日本国憲法14条1項、24条1項、同2項のいずれについても「合憲」という内容である。同訴訟で「合憲」判断が下されたのは、2022年6月の大阪地裁判決以来であり、高裁判決では唯一である。TransgenderJapan(以下、TGJP)は以下4点を指摘し、判決内容に抗議する。
まず、本判決では日本国憲法前文を引用して「国民社会が世代を超えて維持されること」を国家の前提とし「男女の性的結合関係による子の生殖」がその手段であると述べる。その上で、「生まれてくる子の出生環境を整える」という観点から婚姻に関する民法・戸籍法上の諸規定(以下、本件諸規定)における「夫婦」とは「『一の夫婦とその間の子』という結合体を形成しようとする異性の者同士」すなわち「法律上の男性である夫と法律上の女性である妻」と解することが合理的だと結論づける。生殖を至上のものとする社会観、家族観から排除されるのは同性カップルだけではない。様々な理由で子どもを産めない/産まない夫婦やステップファミリー、トランスジェンダー当事者を含む夫婦といった様々な家族が想定の外に置かれている。
2点目に、本判決は家族に関する法制度についてあまりに立法裁量に委ねすぎており、三権分立における司法権の役割を果たしていない。一般論として、マイノリティの権利は立法府における多数決の原理ですくいとりがたい。だからこそ、司法を通じた権利回復という手段が重要なのだ。札幌、東京(一次)、福岡、名古屋、大阪の各高裁が地裁判決よりも踏み込んだ「違憲」判決をだし、まさに司法権の活きた姿を示した。対して、本判決は司法権の役割の放棄と言わざるを得ない。
3点目に、本判決は同性カップルを家族と公証する制度が存在しないことについて
①同性カップルは同性の者同士の事実婚として法的に保護されている
②婚姻によって得られる諸権利・義務の一部は契約によって代替できる
③自治体のパートナーシップ制度や民間企業における異性カップル同様の支援が広がっている
④「性自認と身体的性別が一致しない者」は今では手術なしで戸籍上の性別変更ができる
などの理由で同性カップルが「婚姻の本質を伴う結合関係を形成すること自体が侵害されているわけでは」ないという。このような事情と、立法裁量、そして先に述べた社会観・家族観を以て14条1項違反を退ける。①から④はいずれも、LGBTQ+当事者が法廷闘争やロビイング、社会運動を通して回復させてきた権利である。とりわけ④を除く3項目は、同性婚の法制化の道程として当事者、自治体、企業でつくりあげてきた中間的成果であり、また、同性婚の法制化の立法事実である。これを「合憲」判断に用いることは、LGBTQ+権利回復運動の収奪である。
最後に、本判決の書き振りからはトランスジェンダーに関する認識の杜撰さが垣間見えることを指摘しておく。例えば、上記④は同性婚の法制化を否定することを前提にした端的な外的動機づけ、つまり、異性婚を成立させるためにトランス当事者へ戸籍上の性別変更を促す言説である。また、本判決には「性自認が身体的な性別と同じ者については、その身体的な性別もまた個人の重要な人格的個性であり」という記述がある。「身体的な性別」を性的特徴(Sex Characteristics)のことと解すると、それは性自認の如何に関わらず「重要な人格的個性」である。そもそも、SOGIESCという単語があるように、性的指向(Sexual Orientation)・性自認(Gender Identity)・性表現(Gender Expression)・性的特徴はいずれも等しく「重要な人格的個性」である。その上で、すべての人は身体の自己決定権を有するのである。本判決の引用部分は性のあり様に関する基本的な概念や人権を踏まえておらず、言語明瞭意味不明瞭な記述となっている。報道によれば、東京2次訴訟の原告にはトランス男性もいるとのことだ。本判決は原告らの属性や経験、生活実態といったものを理解することもなく、その陳述に真摯に向き合おうともせずに書かれたであろうことがわかる。最高裁では、本判決が反面教師として用いられ、人権回復に資する判決が言い渡されることを期待する。

